本調査研究からの提言

 本研究調査を進める過程、つまり委員会での討論や関連情報の収集、及び、訪問調査と郵送による本調査の結果から、『視聴覚教育メディア研修カリキュラムの標準』(以下、『標準』と略す)に関して以下のような提言を行う。

1.『標準』の必要性
 『標準』は種々の問題をはらみながらも、今後とも必要である。今回の調査結果にもみられるように、関係者の知識・技能の向上、教育関連機器の有効利用、指導者養成、研修計画に際しての参考資料、あるいは、研修関連予算の確保などの観点から、ぜひ必要とされている。しかし、『標準』が十分に意義あるものとなるには、さらに幾つかの改善が必要である。各研修実施団体の関係者は、『標準』を常に意識し、研修計画作成のための参考としているとは限らないが、改めてこのような標準を考えるとき、種々の理由からこれを必要とする意見が多数を占めていた。

2.「視聴覚教育メディア研修」の用語
 視聴覚教育メディアという用語は、現代のメディア状況に適した名称が与えられるべきであるとする意見が多かった。かつて文部科学省の「視聴覚教育課」が「学習情報課」に変り、あるいは、国立共同利用施設である「放送教育開発センター」が「メディア教育開発センター」に変ったことを知っている。これに類する事柄は、この分野ではしばしば見られる現象である。この分野の活動内容が著しく変化しているからである。例えば、米国の視聴覚教育学会(当時)は昭和38年に、この「視聴覚教育」の定義を試みたが、その定義づけの作業にあたり、「この分野を現在“視聴覚教育”と呼んではいるが、近い将来、より適当な用語が必要となったときは、別の名称に変ることになる」と記し、「仮に名付ける分野」として作業を進めている。つまり、定義づけようとする分野の名称が、近い将来に変ることを予測してのことであった。この学会の名称も、スライドや無声映画の教育利用から「視覚教育学会」が設立され、後に「視聴覚教育学会」となり、さらに、ティーチング・マシンやコンピュータの教育利用が盛んになったことから、現在の「教育工学・コミュニケーション学会」と変ってきている。
 本調査研究の計画と実施の段階で、「視聴覚教育メディア」の名称の問題が論議された。視聴覚教育という名称で呼ばれている活動分野が、従来からの「視聴覚」という名称では収りきれなくなったからである。現時点での妥当な名称は、「視聴覚教育メディア」とするよりも、ICT技術に含まれている教育システム全体に関わる分野の中で、特にメディアに主たる関心を置く「教育メディア」とする方が適当であるとする意見が多数であった。もちろん、将来の状況の変化から「教育メディア」の名称が不適切になったときは、さらに適切な名称に変更するという了解を含んでのことである。

3.ICT教育と密接な関連
 視聴覚教育は、歴史的に見ると、新しい教育方法の担い手として発展してきた。新たな教育メディアの出現にあたって、視聴覚教育は、これらの教育利用と、その利用によって教育の改善に努めてきた。このような展開の中で、かつてのティーチング・マシンやCAIによる教育、さらに、現代のICT教育も、視聴覚教育の発展的形態として位置づけることができる。しかし、それぞれの発展の過程で、映画教育、放送教育、コンピュータ教育、ICT教育などと、いかにも別途の領域のごとき様相を呈したことも確かであるが、現代では、それらの境界を意識することが少なくなってきている。久しい以前から、「ハリウッドとシリコンバレーの結婚」と言われているように、アナログ型のメディアとデジタル型のメディアの境界はますます低くなってきている。こういう状況の下では、教育メディアに関わる知識や技能も、ICT教育の内容も密接に関連するようになる。この現象は、平成2年の『標準』においても、「コンピュータ類」、「マルチメディア類」などの研修事項が挙げられていた。例えば、「マルチメディア類」の中には、その教育利用にあたって、マルチメディアの歴史(知識)、マルチメディアの意味と現状(知識)、単体系のマルチメディアと通信系のマルチメディア、 マルチメディアの情報構造(理解)、 マルチメディアの教育的意義(理解)、 マルチメディア教材の開発(理解と行為)、IBM(アルバム)、アップル(Authorware3.5など)、NEC(スーパーYUKIなど)、富士通(えほんらいたーなど)、 マルチメディアの活用(理解と行為)が挙げられていた。この例でも明らかなように、『標準』のあり方を検討する場合にも、現代のICT教育の課題と密接な関連を持って進めることが重要であることを示している。

4.教育メディアに関わる人材の育成
 教育メディアの状況は、デジタル技術の発展とともに、加速度的に変化してきている。このためには、教育メディアに関わる指導者や担当者の能力の育成は、もっとも重要な課題である。新たな教育機器や施設のハードウェアやソフトウェアの進展は留るところをしらないが、これを活用する人材の育成が伴わないと教育的には無意味なことになる。かつて、2度に渡って『標準』が発表されたのも、新たな視聴覚教育機器や施設が教育分野で有効に機能するには、これを活用する人材の育成が急務であると考えられたからである。

5.『標準』の永続的な改定
 現代の教育メディアやICT技術の発展は急速である。多くの技術は、数年のうちに陳腐化するほど、その発展は著しい。こういう変化の時代に、かつてのように『標準』を10年に一度修正するのでは、標準の意味を持たないものになってくる。『標準』を発表した途端に、研修項目やその細部の内容が陳腐化するものと考えるべきであろう。そこで、この分野の「標準のカリキュラム」は、永続的に改正され得る仕組みを備えているものでなければならない。このための方策として、小回りのきく小委員会に委嘱して、1−2年ごとに修正を行い、その成果をウェブ上に発表するなどの周知の方法も工夫されなければならない。

6.『標準』の周知の方法の工夫
 調査結果によると、従来の標準が10年を経ていたことなどから、研修実施主体の担当者の目に触れてない事例が多く見られた。その中で重要なことは、これが十分に活用される手段の第一として、その配付の方法、その後の修正の情報などが周知徹底するような方法が考えられるべきことであろう。

7.研修実施主体と研修内容別実施との再検討
 昭和48年の『視聴覚教育研修カリキュラムの標準』では、各メディア別に技能を初級、中級、上級の段階に分けて、実施主体を対応(市町村、都道府県、国)させていた。次いで、平成2年の『視聴覚教育メディア研修カリキュラムの標準案について』は、対象者別の研修内容の質的相違を組み入れて「研修 」と「研修」として、これに実施主体(市町村、都道府県、国)を対応させた。当時、例えば、「研修」に見られるような「研修マニュアルの作成」などといった研修項目を各都道府県などで行うには困難な事情があったので、国が責任をもって研修実施主体となっていた。しかし、現在ではこの項目の内容も各地で実施できる段階に至っており、さらに、こういう知識を主とする項目は、国が責任を持って、エル・ネットやインターネットなどのネットワーク上で示すことも可能となっている。このような事情から、研修項目と研修実施主体との関係は従来とは異なった方策が考えられると思われる。つまり、研修実施主体としての国、都道府県、市町村の役割の再検討によって、最適で実際的な枠組みを作る必要性が挙げられる。

8.研修内容と方法の再検討
 繰り返し記してきたように、メディア状況の変化に対応できる『標準』が望ましいことは自明である。そのためには、例えば、16ミリ映写機の操作技術に代えて、インターネットの活用を入れるなどの措置が必要であろう。さらに、コンピュータ・リテラシーにおいて、ある時代には、「分る」(知識)、「使う」(既存のソフトウェアを利用する)、「作る」(簡単なプログラムを作る)と言われてきたが、現在では「作る」は、ほとんど力説されなくなった状況もある。つまり、コンピュータやネットワーク技術においても、それらのリテラシーに要求される事項は技術の発展とともに変化が見られる。こういう観点からも、永続的なカリキュラムの修正が必要であり、また、そのような修正を先取りする「未来からの要求に応える」カリキュラム構成が必要となってくると思われる。

9.大項目の研修項目の維持と、枠内での詳細な研修事項の必要性
 平成2年版で採用した「それぞれの地域に必要とする研修内容」として、いわゆる「大項目」の研修項目を提示した。例えば、マルチメディアの項目では、これの知識の段階、活用の段階、あるいは、これの作成の段階などと、「マルチメディア」の取り上げ方は多様である。これらを、それぞれの地域の受講者の関心や習熟度によって、研修内容を構成する「大項目方式」の『標準』の示し方は、おおむね好評であった。これによって、地方や、各段階での研修計画が弾力性を持つものとなり、より適切な研修が可能になると思われる。
 他方では、大項目の中では、項目内での研修の実際の参考のために、研修事項が細かく記されていることが望ましいとする。例えば、「マルチメディアの知識」として、どんな知識が必要であるかの一覧となっている事項の記載である。これによって、マルチメディアの知識の研修に関わる計画を立てやすくなるというわけである。

10.メニュー方式の維持
 大項目方式とともに、「メニュー方式」が取られた。メニュー方式にも幾つかの方式が考えられるが、要点は研修実施者、あるいは、受講者が自由に選べるような研修内容と方法が提示されていることである。つまり、同一の研修項目を行き渡らせるのではなく、地域や受講者の習熟度に従って、最適の研修計画を、ちょうどメニューから好ましい料理を選ぶように、構成することであった。この方式は、新たな『標準』では、いっそう強調されるべきであるとする意見が多かった。

11.研修項目の大幅な入れ替え
 研修項目の中には、はなはだしく陳腐化しているものがある。これらを大胆に入れ替える必要があるとする意見が多く見られた。平成2年の『標準』では、陳腐化されていたメディア技術であっても、地域の事情から研修に意義を認める限り、研修実施者に研修項目の取捨選択を任せるという建て前から、あえて研修項目として記載していた。しかし、これがときに必須なものと誤解を生む結果にもなっていた。つまり、研修項目として記載されていることから、研修に取り上げるべきとする考えに結びつく事例も見られたからである。新しい『標準』では、大胆な取捨選択が必要なように思われる。

12.メディア・リテラシーのための研修の必要性
 視聴覚教育技術の中には、例えば、現在のデジタル・カメラに見られるように、従来のフィルムによる方法とは異なるものが出てきている。さらに、これがネットワーク上での送信・受信などの技術と結びつくとき、カメラの技術は大幅に変ってくる。メディアについての知識を持つこと、メディアを適切に利用すること、あるいは、メディアを制作することなどの、メディア・リテラシーがより必要となってくる。このことは、ビデオなどの動画に関しても同様である。
 あるいは、社会におけるテレビや携帯電話の利用に見られるように、反社会的な影響の無視できない教育課題も生じてきた。このようなメディア利用に対する良き嗜好の育成も、現代のメディア・リテラシーとして重要な課題である。メディアの賢い利用に関するリテラシーの育成も重要となってきている。

13.習熟度別研修項目の作成の必要性
 将来の『標準』では、研修受講者の能力別、または習熟度別の研修計画の作成が好ましい。つまり、教育メディアに関わる技術は、ICT技術の発展に伴って、ますます高度化してきている。こういう状況にあっては、受講者の経験、能力などに著しい相違が見られるようになった。この状況に応ずるために、習熟度別の研修が望ましく、これを可能とする『標準』の中に習熟度を反映する視点が必要となってきている。そのためには、一案として「習熟すべき技能」とそれに至るための技能、それに続く技能などの階層を含むような『標準』が望ましいとされる。

14.研修事例の提示
 新しい教育メディアの出現は、従来の研修形態では対応しきれないこともあり、先進的な団体での研修の実際を、事例によって具体的に示すことが望まれている。そこには、新たなメディアや技術の研修に関する詳細な実践事例が、『標準』の付録として貼付されているとより重宝である。さらに、研修の成果を明らかにし、研修の必要性を確かにするために、研修の評価の事例を盛り込むことが望まれている。研修の実際を評価することによって、研修の必要性の説明責任を果すことができるからである。

15.『標準』とカリキュラム作成におけるニーズの吟味
 研修内容に関して、調査結果によると、研修カリキュラムの構成に関して「ベキ論」が多く見られた。ここでいう「ベキ論」とは、「思うに○○が必要である」、「○○を行うべきである」という、いわば理屈の観点から、カリキュラムを決める方式で、「規範」を基にする方式ということができる。このようなカリキュラム構成の基になるものに、先の規範による、現場からの必要性(現在、仕事に関わっている人たちが必要と考える)から、要請としての必要性(法的規則による)から、比較による必要性(他国/他地域との比較による)、及び、未来からの必要性(将来的展望による)などを挙げることができよう。新たに、『標準』を作成するにあたっては、いずれの必要性を基にして行うかは、今後の課題である。

[中野 照海]